講演要旨
米作りは政治の傘下に置かれ、他の農作物とは全く別格である。このような米作りのあり
かたは、そのルーツを古代に求めることができるのではないだろうか。
平成8年に山形県の鳥海山麓の遊佐町上高田遺跡から出土した、9世紀頃の小型木簡に、
ただ「畦越」とだけ記した付札は、近世の農書「清良記(せいりょうき)」(1702〜31年頃成立)にみえる「畦越(あぜこし)」と合致することがわかった。
平成11(1999)年には全国で総数20点近い品種札のあることを公表した。その後も新しい品種札の発見が相次ぎ、品種名の付け方も判明した。
このような稲の品種は早・中・晩の三種に大別され、さらにこの三種も細かく何種類にも分かれている。一週間ずつ種まきの日をずらしているものも確認された。地方豪族のもとで、稲の品種は完全にコントロールされていることがわかった。しかも、最近、種蒔きから刈り取りまでの日数を明確に知ることのできる木簡が発見され、近世の農書に記す日数とほぼ近似していた。日本列島における稲作の変遷がしだいに明らかになってきた。
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