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会員による会員のための見学会

古河の歴史を歩く
実施年月日 テーマ 案内 備考
2007年
5月
10日 古河の歴史を歩く 牧野光男会員
地元案内者
 参加者 32名 

 古河は万葉の昔は「許我(こが)」として、うたわれ、鎌倉時代に下河辺行平が城を築いたとされる。室町時代には「古河公方の地として栄え、江戸時代の古河城は将軍日光社参の宿泊地、さらに日光街道・奥州街道の宿場町として栄えた街である。佐倉城を築いた土井利勝も在城したことがある。
 このように古河は、城下町、渡良瀬・利根川の海運の要地、海道の宿場町として栄えた。江戸末期には河口信任、鷹見泉石、土井利位などの蘭学者を輩出した。現在は三国橋に象徴されるように茨城県、栃木県、千葉県の県境に位置し首都圏の衛星都市として栄えている。(友の会広報部)


旧武家屋敷前での全体写真

 見学会の当日は、午後から大雨・雷雨注意報が出されたにもかかわらず32名が参加した。そのため、ルートの一部を変更し、天気が崩れるまえに見学会は無事終了。しかし、帰宅途中は雷雨となり大変であった。

 左の写真は
、徳川幕府により譜代大名11家が交代した古河の城下町のなかで、江戸時代がしのばれる風格のある旧武家屋敷門前での全体写真です。
長谷観音
古河公方 足利成氏が鎌倉の長谷寺より、勧請したもので、十一面観音菩薩像が安置されている。これは日本三長谷観音のひとつと称されている。
鷹見泉石記念館
鷹見泉石は江戸末期の古河家老であり、洋学に関心が高くオランダ商館長からヤン・ヘンドリック・ダップルの西洋名をもらったほどでした。
記念館は泉石の晩年の住まいを改修し、公開したものです。この建物は寛永10年(1633年)古河藩主 土井利勝が古河城の御三階櫓を作ったときの余材で建てたものと伝えられている。