成宗電車トンネル
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明治30年に成田鉄道が開通したが、成田駅と成田山の間が800メートルの距離があるため、この間を連結し、さらに宗吾霊堂を結ぶために明治41年に成宗電気軌道が設立された。
路線は成田山門前−成田駅−宗吾門前であった。まだ、京成電車が江戸川を渡っていないので、これが千葉県最初の電車であった。しかし、太平洋戦争によるレールの供出を余儀なくされ昭和19年に廃線となった。
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薬師堂
明暦元年(1655年)に成田山の本堂として建立されたもので、現存する成田山の建物としては最も古い。水戸黄門や子授けを祈願した初代市川団十郎が参詣したのは、この薬師堂が本堂であった時代のことであった。元禄14年(1701年)に新本堂が建立されたときに光明堂となり安政2年(1855年)ここに移された。薬師堂の前のお堂には各地への距離の起点となる「成田町道路本標」が立っている。
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仁王門
文政13年(1830年)に建立、国指定重要文化財である。この門は八脚門で入母屋造り銅版葺きの屋根の正面に大きな千鳥破風がつけられている。高さ約19メートル。門の右に口を開いた阿形那羅延金剛像を、右に口を閉じた吽形密迹金剛像を安置している。門前にはアジアからの観光客の姿も見られた。
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護摩御祈祷にむかう僧侶達
毎日行われている護摩御祈祷のために本堂に向かう僧侶達。
「お護摩」とは不動明王をご本尊としその前に壇を設け、いろいろな供物を捧げ、護摩木という特別なまきをたいて御本尊に祈る真言宗の秘法です。お護摩の火は不動明王の智慧を象徴し、まきは煩悩を表しています。お護摩の儀式を通じて僧侶はまきという煩悩を不動明王の智慧の炎で焼き尽くし、信徒の願いが成就することを祈るという。
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