国立歴史民俗博物館友の会 本文へジャンプ
会員による会員のための見学会
成田の歴史散歩
実施年月日 テーマ 案内 備考
2007年
7月
22日 成田の歴史散歩 小倉博氏
(成田山霊光館)
大野吾一会員
(企画担当)
 参加者 40名 

 正月3日で300万人が訪れる成田のお不動様で知られる、成田山「新勝寺」。その門前町として栄えてきた成田山の参道には江戸時代の名残を今に留める旅館・漬け物屋・川魚料理店などが軒をつらね賑わいを見せています。
今回の歴史散歩は成田山霊光館(郷土資料博物館)の小倉氏に案内していただき、門前町、成田山、その周辺を散策しました。また今回は特別な計らいで通常は見学できない新勝寺の御内佛殿も見学させていただき、その説明もお聞きすることができた。

今回のルートは次のとおりでした。
     JR成田駅−>成宗電車トンネル−>薬師堂−>三橋鷹女像−>成田観光館−>成田山境内−>
     成田山霊光館−>出世稲荷−>お不動様旧跡小公園−>成田羊羹資料館
最後の羊羹資料館では、冷たい飲み物と甘い羊羹をごちそうになり、一同満足して散会した。

成宗電車トンネル
明治30年に成田鉄道が開通したが、成田駅と成田山の間が800メートルの距離があるため、この間を連結し、さらに宗吾霊堂を結ぶために明治41年に成宗電気軌道が設立された。
路線は成田山門前−成田駅−宗吾門前であった。まだ、京成電車が江戸川を渡っていないので、これが千葉県最初の電車であった。しかし、太平洋戦争によるレールの供出を余儀なくされ昭和19年に廃線となった。
薬師堂

明暦元年(1655年)に成田山の本堂として建立されたもので、現存する成田山の建物としては最も古い。水戸黄門や子授けを祈願した初代市川団十郎が参詣したのは、この薬師堂が本堂であった時代のことであった。元禄14年(1701年)に新本堂が建立されたときに光明堂となり安政2年(1855年)ここに移された。薬師堂の前のお堂には各地への距離の起点となる「成田町道路本標」が立っている。

仁王門

文政13年(1830年)に建立、国指定重要文化財である。この門は八脚門で入母屋造り銅版葺きの屋根の正面に大きな千鳥破風がつけられている。高さ約19メートル。門の右に口を開いた阿形那羅延金剛像を、右に口を閉じた吽形密迹金剛像を安置している。門前にはアジアからの観光客の姿も見られた。

護摩御祈祷にむかう僧侶達

毎日行われている護摩御祈祷のために本堂に向かう僧侶達。
「お護摩」とは不動明王をご本尊としその前に壇を設け、いろいろな供物を捧げ、護摩木という特別なまきをたいて御本尊に祈る真言宗の秘法です。お護摩の火は不動明王の智慧を象徴し、まきは煩悩を表しています。お護摩の儀式を通じて僧侶はまきという煩悩を不動明王の智慧の炎で焼き尽くし、信徒の願いが成就することを祈るという。